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小説と論説と絵


by 創作価値論
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230316 然るべき行いの元に(#35~36解説)_f0051248_23063296.jpg



「然るべき行いの元に、然るべき結果が現れた、それだけのことなのです」

と、#35末の台詞にあるのですが、
この言いまわしに関しては、正直自分で書いときながら、国語として正しいのか考えるところがあります
あるいは、他作品のどこかで見たものを引っ張っているかもしれません
但しそれは、意味が決しておかしいというわけではなく、それをこれから解説します



然るべき行いの元に

劇中のものを引用すれば
「いいですか、悪事を働けば、先程の女が捕まるように、悪い行いをすれば、神から罰が与えられます」
ここに掛けられた言葉です
然る=相応な、でして、そこに”べき”が付いて、そうするのが常である、あるいはふさわしいということです
なので、今回#35でラーラフラウが何を言いたいのか、解釈すると以下のようになり
「悪党には悪党らしい行いがあって、その結果もまた相応(ふさわしい)ものだ」となり、
つまるところ彼女が用いているのは、罰論だということになります


一方、アウラクインも全く同じように語りますが、何に対して当てているかは、またこれが違います


粉屋がちゃんとした輸送の手配をしていないから、そういう指摘を受けているのですが
その手配にも理由があって、決して悪い運用をしているわけではない
それは日雇いを助けることでもあるし、安い価格提供も可能にしており、インフラとして善く回っている
でもそれが粗悪となると顔をしかめるところですが、果たしてそれが困窮するほど負担をするまで重要であるか
=その社会設計は正しいのか、これがみんなの悩んだところです
そして話の根幹は、その中でお願いする日雇いが、果たして粗悪なのか、
日雇いを遣っている粉屋はいい加減なのか、ということで
そこで助けとなったのが、そのときの日雇いであったフランチェスカの質の良さです

一見すれば粉屋の然るべき行い、ですが、彼女が持ち出したのは、フランチェスカの然るべき行いです。
そこだけ明かせば後は簡単、言いたい放題すればなんでも結果として反映される、
彼女の実力=「雄牛の評価」は、それだけ確かな真実なのだという話で、然るべき結果、ということになります。

#36の最後の方に
「然るべき行いの元に、然るべき結果が現れたわ」
「ええ、全く」
とやり取りし、ここでアウラクインは上記の意味で言いますが、
粉屋は、ラーラフラウに当たった罰だと解釈しています。

アウラクインの「然るべき」には、
善いものに(フランチェスカに)従えば(粉屋のように)よい結果をもたらすし、
悪いものに(組合に)従えば(ラーラフラウのように)悪い結果をもたらす、
そこにはラーラフラウが説く罰論ですらその構成の一部でしかない、広域な視野があったという話です。



そして38では「然る行い」と、短く言っていますが、
べきをはずしたという事で、対象の不特定、善悪の判断がなされていません

どうやらアウラクインには、イタチ的行いに納得していない部分があるようです


# by usacchi2006 | 2023-03-16 03:30 | 楽屋裏 | Comments(0)

230315 #38 フランチェスカとジュリオ枢機卿_f0051248_06270819.jpg

夕暮れの一騒動からようやく宿に帰還した二人。
どちらも薄着になって、背中には上着で包んだ、大量のお土産を背負っています。

※話はフィクションです



雄牛の英雄
# by usacchi2006 | 2023-03-15 18:00 | 創作 | Comments(0)

■閲覧者数と近況

去年末の辺りからアクセス数が上がっておりまして、
続けて読んで下さる方が在ればありがたいことですが、
その反面、黴臭い話の多い日記ですので
読者を意識すると書く内容について躊躇ってしまう部分もあります
しかし、21年の折からは好きに書くと決めており
忖度することなく自己を貫いていくことが、自身の中の戦いです


■活動体系と理念

ライトなイラストを表面立てておきながら
中の人は思想と批判哲学に傾倒した人間で、作品群もそれに準じたものとなっており
昨今の日本社会において、基本的にこの辺のテーマは嫌疑、忌避対象とされがちなジャンルです
その理由から、まあ監視の意味で見る人もいると思うので、数値に評価は捉えておりません

当然私自身もこういったものが世間に通用しないことは百も承知にあり
自己責任と趣味の範囲で行っているもので、特に社会的影響を狙ったものではありません
アクセスゼロになっても拍手ゼロになっても、活動を辞める選択は当然無い
むしろそういった、体裁によって見る見ないを捌かれる、そのような価値観で変わる評価とは、
元々ないものと等しいのではないでしょうか


■創作の目的観

執筆内容について、あるいは自分の人間性について、悪く思われるのは別段問題のないことです
課題・問題を提示していく中で、その中で真実を置いていく
その真実は相手が善であれ悪であれ、確実に有益となるものであり、
今は悪だと評価したことでも、将来、善に変わるかもしれない。逆もあり、自身を戒めるかもしれない

今の社会は深く考えることに欠如している
全てが表装と空気で語られているが、文字通りどちらも全く本質がないものである

記事には何も言論誘導の意図はなく、ただ、そこの知恵を育む事が出来れば、
これは確実に価値のあるものであり、将来、個人から社会、さらに世界へと幸福にするものであり
その種子を提供していく事は、自身の人生目的であります




# by usacchi2006 | 2023-03-13 03:14 | 論説 | Comments(0)