#
by usacchi2006
| 2025-06-02 17:25
| 創作絵本
|
Comments(0)
■最新
また創作の更新が渋っていますが、そろそろイメージボードが欲しいなとか、
キャラ紹介できそうな立ち絵とかディスプレイとか考えたりもしてました。実際やるかは未定。
本編制作は進めています。挿絵は出来ましたが、内容の方が調節中。
今回は考察という事で、話の整理がてら他話の関係や、次の展開も考えていきます。
★#56あらすじ★
夕暮れの騒動の黒幕は、以前、自分の主人だった外交官に違いない。
そう見当が付ついたフランチェスカは、共犯が疑われるラーラフラウを捕まえて、尋問しました。
しかし追求しきれなかったどころか、ラーラフラウから推理の矛盾を指摘され、
さらには、犯人どころか、自分達こそフランチェスカの身を案じているのだと明かされ、
議論ははじめから自分の方が尋問されていたことに気づき、
前の主人を犯人だと決めつけ騒ぎ立てた自身を恥ずかしく思うのでした。
★★★★
■夕暮れの騒動 ⇒#34・35
事の発端となる事件ですが、ラーラフラウの盗聴を機に、
様々な出来事の中から、二人は、首謀者がいることに気づきます。
・ラーラフラウの盗聴 ⇒#41
事件の日の晩、ラーラフラウの盗聴に気がつくフランチェスカですが、
盗聴と思われるものは前日からあったことを思い出します。
ここで、事件は意図的であることを確信し、そこにラーラフラウが関係していることを知ります。
・容疑者の証言 ⇒#50
容疑者が取り乱して進まない取り調べの中、アウラクインが巧みに話を聞き出します。
そこで容疑者は買収されていた可能性が浮上してきます。果たして背後には何者がいるのか。
・事件はバジリアーニとラーラフラウの共謀か ⇒#51
アウラクインから、ラーラフラウは
前の主人、バジリアーニの館に勤めていることを聞き、フランチェスカは激怒します。
一連の騒動はバジリアーニが自身の為に仕掛けた陰謀だと思い込み、
ラーラフラウも共謀者として、フランチェスカは二人を強く憎みます。
■フランチェスカの激怒の理由
フランチェスカが激怒した理由は、ラーラフラウが語ったように、
バジリアーニがフランチェスカに陶酔し、屋敷へ連れ戻したいことを理解しているからです。
そのやり方として、悪賊を使い、粉屋を混乱を陥れたとなれば当然、治世を乱す一大事。
まして悪賊は買収されていたとすれば、これほど汚いことは無い。さらにラーラフラウの盗聴など、
彼女の中でバジリアーニという悪党の像が完成したのです。
■一人駆け出した理由
彼女はラーラフラウを独断で捕まえに行きました。
つまり、事件を早く解決したかったのですが、その要因はこれ以上好きにはさせない為であることと、
もう一つ、悪賊は買収されていたことを知って、そちらも開放してやりたいという思いがありました。
これはフランチェスカの思いやりです。⇒#50
ラーラフラウを捕まえたのち議論に望んだのは、証言が彼女の釈放にもつながると思えばこそ。
だから橋の上では、冷静に議論できるタイミングを計っていたとも言えます。
勇気と慈悲を兼ねた、英雄となるに相応しきこころの持ち様です。
■不可解な部分は残る
事件にバジリアーニは関係ないことが明かされます。
そしてラーラフラウは、「全てはフランチェスカの為に」といっていますが、果たして真実でしょうか。
彼女の行動を辿ってみれば、これは実に不可解です。
・厳しい叱責⇒#31・35
ラーラフラウは昨日、二度に渡りフランチェスカを叱責しています。
橋の上での暴露と照らせば、ラーラフラウは事件が起こることを、前もって知っていたかに思えます。
彼女は無関係だと主張したものの、実はこの根拠は何も出ていないのです。
・ラーラフラウは無関係ではない ⇒#49
その日の早朝、バジリアーニの会話から、彼は事件に関係ないことが読んで取れます。
彼女の主張の通りです。しかし、ラーラフラウにおいてはどうでしょうか?
ラーラフラウはバジリアーニの前で、フランチェスカと関わったことを伏せました。
主人に己の目的を伝えていないのです。なぜ伏せておく必要があるのか。
・証言の不可解さ
「”主人の紹介”と言ったのは、悪賊なのでしょう?
今の推理は、主人が悪賊を送ったという裏付けにはなっていない。
従って、主人を根拠に私が悪賊と連携しているというなら、当て外れよ」
今の推理は、主人が悪賊を送ったという裏付けにはなっていない。
従って、主人を根拠に私が悪賊と連携しているというなら、当て外れよ」
ここの証言は巧妙です。「主人と悪賊との関係」は否定しています。
しかし、これは「ラーラフラウと悪賊の関係」となると異なります。
主人を根拠にした場合において否定していますが、直接的には否定されていないのです。
・#36「虚偽と真実の争議」の結果が変わった可能性
橋の上の論争にて、ここでフランチェスカがラーラフラウに負けてしまうということは、
昨日の夕暮れの騒動でもしフランチェスカが対峙していれば、負けて結末が変わっていた未来も。
つまり#56の結末は、昨日(#36)の、もう一つの可能性を示しています。ラーラフラウにしてみれば、あの場でフランチェスカを説得できた算段だった筈。
しかしそれは手段でしかなく、彼女が本当に狙っていたのはアウラクインでした。(⇒#49)
ゆえに、橋の上の論争も、彼女の目的線上の事にしか過ぎない訳です。
バジリアーニと目的が一致しないならば、前項の「彼をもって否定したこと」に元々意味は無く、
フランチェスカの視点の死角を巧みに利用していることが、見て取れます。
・ラーラフラウの真の目的は?
確かに、ラーラフラウのそれぞれの目的は、全て合理的に繋がります。
しかし、彼女の証言の数々は、真実を示していません。
フランチェスカはしきりに「バジリアーニの指図」としています。
バジリアーニを黒幕と見立てることによって、全ての推理が成り立つからですが、
その根拠を崩されて彼女の推理は白紙になる。
しかし、その事実関係までも白紙にはなりません。
このように様々な疑問を残しつつ、物語は次の話へと進んでいきます。
#
by usacchi2006
| 2025-05-24 23:59
| 楽屋裏
|
Comments(0)
先日は絵を描く能力の向上について、知識と技術と区分けして紹介したが、
改めて世間に感じたのはこれを逆に認知して教えているという現象である。
当然それらも真理と価値の混同であって、最早これが日本人の目線だとしか言い様が無いのである。
技術を知識の如く教えるのは小手先の詐欺師であり、今まで述べた通りであるが、
この逆も存在する。すなわち、知識を技術の様に教えてしまう講師である。
しかも、これを教えるのは熟練者の方が多い印象である。
当然なこと。それは知識が正しく具わっているからこそ出来るからである。
しかし正しく具わっているからといって、それを修練者に教えるとすればどうだろうか。
知った以上は必須ともいえる知識を、技術として教えてしまう。
これは将来、界隈に混乱を来すと私は考える。
真理を近くして獲得できないのと同じ。1+1は2”でも”いいよ、と教えたらどうなるだろうか。
当然、教え子は2以外の解を探し、それが得だと思えばそれを代入してしまい、
果てはそのように世界まで変えようとしてしまうのである。
講師の腕が良くても、結局は詐欺師の類になってしまう。
当然それらは創造性に反映されてよいものだ。
知識を知った上でなら、そこに忠実である必要は無く、表現の為にあえて嘘を描くこともある。
しかし、知識【真理】の大前提に立っていなければ、美しさを構成することは出来ない。
基盤となる道徳が脆弱なことは、美の評価に届く前に、道徳的観点で裁かれてしまうからである。
「同じことだからいいだろう」ではなく、
どれが真か偽か、理なのか価なのか、その区分けは正確になされていなければならない。
日本人はその勉強嫌いの怠惰によって、なんでも一元化することを好むのである。
今現在、日本人の倫理観が崩壊しているように、将来、界隈の評価基準も反転してしまわないだろうか。
実際、そういう思考が芸術への価値を偏らせ、道徳に影響を及ぼすことは、過去に記したと思う。
確かにこれは杞憂というものである。
けどそれを踏まえれば、倫理・道徳的観点における芸才評価、すなわち創作価値論も、
より在るべきものだろうと思う。
ーーーー
最後に話は戻るが、正しい知識を教えられた時も、現実に在るかどうか、
同じ状況を観察し確認することが大事である。
現実に発見するからこそ、崩して描いたり、嘘を加えたりするテクニックが成り立つのであり、
そこからオリジナルが生まれて、追求すれば発明になる。どの分野においても基本は発見発明である。
これこそ真実の価値創造であり、自身が新しい芸術を拓く可能性をも持ち、
それがあなたに無限大の意欲を沸かせてくれるのである。
ーーーー
#
by usacchi2006
| 2025-05-23 23:59
| 論説・創作論
|
Comments(0)