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うさっちによる漫画絵描き日記


by うさっち(うさ便)
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イラコンに入賞しました



久々に絵の話をする気がします。
Pixivに投稿したKanonのイラストが、コンテストで入賞しました。

自分の中でKanon20周年は、11月のサンクリで〆ていたのですが、その後まさかの結果を頂き驚いております。
こういうことは初めてなので、どう対応していいのかわかりませんが、とにかく嬉しかったです!
それと反面、載るならもっと頑張んないとなぁと思う所で、プレッシャーも受けております。

これを描いてたのが丁度台風接近の数日前で、停電を一番警戒していたので、何としても台風前には出さねばと焦ったのは忘れられないです。
といっても殆ど完成していて、締切ギリギリまで寝かせてた状態だったので、まあ別段急いだわけでもないですが、決断してよかったと思います。
これがギリギリまで粘ってたら、悪い縁を引いてたかもしれませんよね。

こちらと新刊作業で、10月はびっしりKanonの絵を描き続けていたのですが、最後にいい記念を頂きました。
11月の新刊の方も、合わせていい思い出の品になったのではないでしょうか!

最後にKey20周年本当におめでとうございます。
私はリライトまでしかやっていないのですが、このメーカーの作品が無かったら、14年も間を空けて絵描きに戻ることはなかったと思います。

厳密にいうと、たいやき丸の1つ目のお願いです。
時々思い出すというのは、別の意味では永遠です。えいえんはあるよです。

私にとって、前にも後にも、人生の一部です。本当にありがとうございます。


# by usacchi2006 | 2019-12-13 01:34 | 二次創作 | Comments(2)

仏の境涯~十界と百界

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本題に入る前に私信的なところで、当ブログには開設当初からWeb拍手を搭載していまして、(13年前からですね)
拍手&コメント下さった方、本当にありがとうございます!
頂きました激励は、今後の活動の励みにさせて頂きたいと思っております。

次回はPixivで創作を上げる予定です。
創作はファンタジーで作っているんですが、シナリオからなにから素人です。


◆◇◆◇

さて十界論をやってきていて、ついに10番目の仏の境涯にはいるのですが、この十界論を説いて仏教の生命観ってこうなんだ、すごいなっていう訳ではなく、これは生命観全体の、一部分、一パーツにしか過ぎないものです。ただ大前提となるものなので、次回も続けてやっていこうとは思います。

仏の境涯、仏界とも言うのですが、一番上という事でこの辺は反発される意見も多いのではないかと思います。
自分もこの境涯はあまりよくわかってないので、テキストに沿ってご説明しますと、理法を覚知して最上の喜びを得た状態、となっております。
この状態に立つと、何があっても楽しい、何が起こっても負けない、絶対的な精神状態になるという事だそうです。
こういう事なら例えば、仕事で自分の役割を見つけたりして、生きがいを感じてなんでもポジティブにこなす人が近いなと思います。
あるいは部活とか苦しいですけど、結果出したり勝ち上がってくのが楽しい、出なくとも仲間と実力を追求し合える中に喜びを感じたりしますが、
この、得るものは何にもないんですが湧き上がってくる歓喜というのが、理法から考えても信解に通づるものなので、仏界なのではと思います。

ところが、そんな理由なしに(カネも出ないのに)喜ぶわけないじゃん!頭イっちゃってるよ!みたいなのが昨今の意見かと思います。
その考え自体が元々人が言語から作り出したものですので、そういう考えに陥るという事は、実は近代科学によって自身が制限されているという事になります。
このことから、悪魔のところでも解説しましたが、世俗は常に真理の邪魔をしてくるのであって、この仏界と菩薩界の二者も真理に通じますから、例外ではありません。

菩薩の時に出した喩えで、「借金して金貸した友人に逃げられた!でも追求しない僕は友情守った!エライ!」というあれは実は外から持ってきたものなのですが、こういう喩えがなぜ生まれてくるかという話で、気を違えた友人の経験談、とか他に、例えば一つに嫉妬があるかと思います。
無根拠に喜んでいる人間を見て、滑稽だとか、気味が悪いとか、結局自分の中にそれが無い、あるいは抑えてるんだとすれば、異質だと感じつつきたくなるのが人間です。
そういう人を見てわざと極端に解釈し、批判へ誘導しようという心理です。
魔がさすとも言います。

喩えという言語を挟んでいますが、触れ合っているのは自身と対象の生命であって、縁になります。
仏界を開いた自分に対し、それを非難しようと人界の人が悪道に引っ張られ、仏界からこき下そうと畜生界の縁を撒く。
声聞縁覚仏菩薩はそれを感じて落胆するが、天以下は胸をなでおろし、畜生以下は歓喜します。
このように魔の出来は基本自身(生命)からであり、外の人から出てくるのをこれを悪鬼入其身と呼んでいます。
この場合は悪鬼入其身ですので、縁に触れた場合は揺るがされないよう自信を保ち努めるのが最善です。

結局何かを手に入れて嬉しい、達成して嬉しい、と言ったものは仏界ではなく天界という6番目の境涯に入ります。
この喜びは有限で、冷めると元居た境涯に戻っていきます。これの維持とは常に、繰り返し求める、という事になるので、輪廻の中に入ります。

ここで例えば、悪いことして喜んでるやつがいるぞ、あんなの意味が分かりませんよ、無根拠の歓喜、あれも仏に成るのか!と言われたとしても、悪いこととは基本的に相手の生命を損ねる行為ですので、相反するので仏と呼ぶことはないと思います。根拠も何かしらあると思います。
十界は最初述べた通り、生命観の一部分でして、実は一人の生命に二つ存在します。これを十界互具と言いまして、人一人の生命に一つの界が現れますが、実はその現れた界も一つ、界を具えています。
これが人を役職などで判断しない理屈になってくるのですが、例えば悪人も妻子が可愛い、というのは悪道の菩薩界になります。
この例では仏ではないのですが、悪人でも仏の境涯を開く可能性が、実はあるようです。
例えが難しいですが……ナッパから悟飯を守ったピッコロとか、そうじゃないですかね。


◆◇◆◇

仏の境涯の説明から、最後に十界は具足するという事で、今回は百界まで書きました。
これは人一人の中に、百種類の生命を含んでいる、ということにもなります。
まあこれを学んだから金持ちや幸福になるという訳ではありませんが、現実に適用していくのは一つの実践であるかと思います。
例えば何かドラマ等作品を見たときに、登場人物に十界を当てはめていくと、面白いと思います。

そして正しく道理を学ぶという事は、魔の根源を明し破折する、正しい道を顕わす力を備えるという事で、これを破邪顕正とも言います。
学んだ者の救いとなり、助けとなり、追い風となり、必ず仏界へ運んでくれる筈です。



# by usacchi2006 | 2019-12-05 01:10 | 仏教 | Comments(0)

近況と閑話

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今回は久しぶりの近況と、前回の話の閑話をしようと思います。


・近況

イラスト描いてますが、一枚に費やす時間がますます膨大になってきたので、なかなかPixivにも上げられないでいます。
下描きはA4コピー用紙がぼろぼろになるまで半日は描いております。
コピー用紙なんて800枚あってもシュレッダーに35秒で始末されてしまうのに、私が全部消費しようと思ったら4年も掛かるという事です。

最近はカメラアングルもどことなく心配になってきました。
(立ち絵とか雰囲気絵が好きなので、あんまりカメラ仕事させてないです。)
でもその立ち絵の中でも追求したいところがまだまだあります……あととにかく描ける物も増やしたいし、課題が多いです。

同人誌の方もまた作りたいのですが、前回作った個人的感想としましては、やっぱりイラストばっかりでは退屈ではないかと思いまして、一回研究を挟みたいなと思ってます。
その間にコミッションとか、違う方面でも活動も広げていきたい……と思っております。


・閑話
前回の菩薩の話ですが、どうもブラック企業や社畜を推進するような文面になってしまいました。
これは一つには私が社畜体質なせいです、ごめんなさい。
当然ながら、何でもかんでも好い人になれと言う話でもないし、その辺は節度をもってとらえて欲しいと思います。

例えば金貸した友人に逃げられ、破産した。でも追求しない僕は友情を守った!エライ!とかいっても菩薩じゃない訳です。
追求できない自分の弱さを見逃すのは、相手に対し臆病になっているという事なので、これは畜生です。
身をきる布施というのが仏法にありますが、身を切られてれば単に損失です。
損が出たというのは悪果です。悪果があるという事は悪因があって、その因の出来元は自分な訳です。
要するに悪鬼入身と同じ原理なので、相手の正体を知り、自身もしっかり身を固めなければいけないという所の話です。
ちなみに浅い損失なら、見逃すのもこれ親の心です。(親心は菩薩に通ずるものがあります)

元々そんな貸し方してる自体、変な話ですが、そこは多分譬えが悪いだけです。
世法との兼ね合いが難しい所ですが、菩薩なら貸す前に相手を諭しましょう。相手を餓鬼畜生にさせない為に。


ブラック企業は会社によります。労基法を犯している会社を指すのですが、世俗的に社員の扱いが悪い会社を指しているような気がします。
労基をぶち破ってる会社なんていっぱいあったんです、結局そうしないと成り立たないからやってしまうんですが、やっぱりその背景は無計画な起業が多かったんだと思います。まあ今から昔というと平成初期~中期な訳ですから、風俗を知っている方は納得出来るじゃないかと思います。
労基の指摘がうるさくなってきたのも本当に最近の話なので、ブラック企業という言葉が出来てからもしばらくは社会のブラック体質って続いてた訳です。

まあ当たり前の話をしてても仕方ないのでまとめますが、ブラックも大分沙汰され、残ってるのは本当に悪質な会社だけ、というとこまで来てるかなという感じではあります。
結局そういう会社に当たったらどうすればいいのか、と言えば世法で考えれば法律が最も強いのですから、訴えるのが最良です。
ところが、社員という立場は本当に弱く、声を上げればクビは当たり前、それ以前に辞めさせてもらえなかったり、下手すれば逆に訴えられるかもしれないし、前社で揉め事を起こしたと経歴に傷はつき再就職は困難と、そう簡単なことではありません。
じゃあどうすんの、となったら戦うしかない筈です。
将来をしっかり見据え、退座するにしても、いい形で辞められるように、やはりそこまでは努めなければならないかと思います。
せめてそこまで拓いていければ、これこそ菩薩の境涯だと、私は説きます。
経験談なので、一意見で申し訳ありませんが、まあ最後はありがとうございましたと言えれば、自身に対してベストは尽くせてると思います。



# by usacchi2006 | 2019-11-29 06:10 | 絵以外のもの | Comments(0)