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うさっちによる漫画絵描き日記


by うさっち(うさ便)
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次回イベント告知 19/9/6

告知用なので、この記事はしばらく優先表示します。
新しい投稿は下に表示されます。


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次のイベントは2019年10月26日(土)横浜産貿ホール マリネリア
「オンラインゲームオンリー合同イベント2019秋」内、アズレン夢想8
です。よろしくお願いします!

出し物は前回サンクリ夏と同じ予定です。(クリアファイルは品切れです!)
スケブもお受け致します!




それから、サンクリ秋(11月3日(日曜))の方も申し込みました。

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こちらはまたしても二次募集になってしまい…落ちてたらゴメンナサイ
新刊のイラスト本を予定しています!10月中旬頃にサンプルをPIXIVに公開する予定です。

現在、アニカノのフィルムブック片手に誠意製作中です。。
ラフやコメントを織り込んで、前回よりももっと冊子らしいものをと思ってやってます。
ONE入れるって言ってたのですが、入れないことにしました。またまた20thを祝う、Kanonオンリー本です!


# by usacchi2006 | 2019-10-26 22:22 | イベント | Comments(0)

大乗非仏説論を破す

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今日は、お寺嫌いには嬉しい「大乗非仏説論」についてです。
嬉しいと言いつつも、一蹴します。
結構マニアックな内容ですが、先日の記事の続きとして読んで頂ければと思います。

・大乗非仏説論とは
大乗経典は釈迦の滅後数百年後に成立していることから、仏説ではないとする学会の見解です。
大乗経を挙げていきますと、法華経・華厳経・無量寿経・大日経……と言った感じで多くの経典が当てはまり、日本の各宗派では殆どが大乗経典を立てている為に、今までの成り立ちが大きく覆されてしまう論理です。

簡潔に言うと
「お前らが信仰していたのは後世の作った出鱈目だぞ」
というご指摘です。

私は一一般人なのでこういったことに発言権はありませんが、この論については、歴史的観点に基づいた正しい見解であるものの、非仏説とするのは教理についてあまりにも解釈されていないので残念ながら通らないものと存じます。

真理というあるがままのものを説いた法にとって、誰が説いたかは差異あるものでなく、教えの根底を重要視されます。
これは血脈と呼ばれるもので、悟りを後世に正しく伝える為の態勢としてあります。
前回書きました密教経典程の、他教へ対抗する為に増幅された内容でない限り、大乗経は紛れもなく後世の弟子達によって編纂されており、それはつまり直説なのです。

また、大乗経典の多くは確かにどこか幻想的で、有り得ない表現も多いかと思います。

「釈尊の眉間から光が放たれた」「突然地面から何万もの黄金の菩薩が涌出した」

こういう記述が実際に多々あります。
しかしこう書かれてあっても、当時の坊さんですら、一部を除いて馬鹿正直に読んでる者はいません。
これには読み方があり、般若心経でお馴染みな空などが必要になってきます。
さらにこの般若心経も大乗経典ですが、その内容は直説を汲んだもので、それを改変解釈していったものなのでこれも直説です。
経典同士も内容に繋がりを見せており、釈尊御在世の時系列に合わせて組み立てられています。
(さすがにこれに沿わないのは偽経で合ってると思います…ディーヴァダッタが釈尊の恋敵だったとか)

大事なのは誰によって説かれた以上に、大元は誰なのか、です。
それは文章の中だけでなく、歴史の中から汲まなくてはなりません。

毘盧遮那仏も無量寿仏も、釈尊以上に大きい存在の仏です。
でも、これらの仏の教えも、釈尊の教えを介して、そしてそれは方便教として、釈尊からの直伝と解されます。
これは今日私達が経典を釈尊の直伝とするも同じことを、予言されてたものだと感じています。

学者の観点からでは仏教というのは宗教学として見られがちなのかもしれません、しかしながら今日では量子力学にて教理の正当さが証明されたり、哲学的観点から読み解かれる学者の方もいます。時代の進歩と共に理解されていくことを望んでおります。

ただ嘆かわしいのは、お寺がこの非仏説論を持ち出し、他宗の誹謗に使うなんてこと、これはありえないです。
実際にあれば結局これは自分を非難してるも同じであり、法謗の罪から頭破作七分待ったなしかと思います。


# by usacchi2006 | 2019-09-19 02:06 | 仏教 | Comments(0)

経典が出来るまで

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仏教にはいくつもの経典が存在します。
八万宝蔵との言葉の如く、教えの数は膨大で、それらを経典にしてその数、唐時代の時点で五千巻といいます。

当然ながらこれらの経典群は中国から渡ったものであり、その中には今では偽書と呼ばれるものも多数あります。
中国に限らず、仏教というのはアジア諸国で広まっているので、後世の創作は莫大です。

ちなみになぜ後世の創作が多いのかは、当時の信仰競争にあるようです。
後世の創作についてその体質を見てみますと、他宗教からの取り入れと思われる部分が各所にみられ、これは次々と立つ新興宗教の中、信仰を集めるために改ざんあるいは新刷されていったと考えられるようです。

密教というものを聞いたことがありますでしょうか。
仏教に呪術を取り入れたもので、真言がそれにはいるのですが、これは元々はインドでヒンドゥー教に対抗するために立てられたと言います。
ヒンドゥー教というのは今でもインドの宗教で有名ですが、実は仏教より後期に成立したものです。
その中で仏教開祖の釈迦を、第九祖という立ち位置に置いて、ヒンドゥーの教義を上としました。
このように編纂されたものも三蔵法師によって求められ、中国に持ち帰り翻訳されていったようです。

ところでこれらの経典群、後世の創作を除いて全部誰が書いたかというと、これは釈尊ではありません。
釈尊御在世の頃は文章を書く習慣が無かったので、教えは全て口伝です。
経典が出来たのは釈尊の死後で、弟子達が集まって記憶や暗唱を頼りに編集されたそうです(結集といいます)。

経典の多くの出だしには「如是我聞」とあります。(訳経僧によってちょっと違います)
「かくのごとく、我聞けり=私はこのように聞いた」との意で、口伝であることをしっかりと表されています。
この言葉は、釈尊の弟子で20年以上の世話係だったアーナンダ(阿難)か、あるいは文殊菩薩のものだといわれています。

という具合で、経典とは書かれたのは確かに弟子達ですが、その教えは紛れもなく直伝です。
それが時を経ていくうちに増幅し、五千とも数える莫大なものになったようです。
じつはその増幅過程で、どんどん釈尊が神格化されていき、元々民衆の輪の中に居た者が、いつの間にか神様のような扱いになっていました。
「天上天下唯我独尊」なんてものは、おそらくこういう過程の中付けられたものでしょう。
(教えから言ってこんなこと言いだすなんてあり得ません)

それも踏まえ経典とは、時を経てもなお存在する弟子達に、どれほど通じているかが示されています。
時が経てばそれが薄らぐのは必須です。しかし中身は変わりません。
身近な存在から神様のようになっていったこの距離感は、単純にそれ程、釈尊が死後から時が経っていることを示すだけではないでしょうか。


# by usacchi2006 | 2019-09-17 23:37 | 仏教 | Comments(0)