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小説と論説と絵


by 創作価値論
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■Brog版リンク

 


#16を振り返り解説したのですが、今回は前回解説からテーマを抽出し、コラムします。
今回その解説の詳細を、真理の実相、既存の価値観に対する批判的視点をもって説明します。

ーーーー



◇真価を見出すこと~その普遍性こそ平等の真理であれ◇


①アウラクインの様相に映る”明るめている”という行動は、どういうことか。

その少女がどう感じるかが、その少女の様相に映り出る。
そこで、回りの一切が、彼女を明るめていると知ったところで、
するとそれが今度は回りに映っていくんです。

こう書くと、日本人的には差し出されたものに感謝しろだの、場を濁さず振舞えとか、
そういう強迫性概念として捉えがちになってしまうと思いますが、
これは、何でもかんでも喜んでやればいい、という意味ではありません
後に書いてますが、
ものの元来ある価値に基づき、そこにあわせた評価(反応)を見せるということです。
せまっ苦しい、多分汚れているであろう店内でも、
それぞれ置かれている物、出される物、全て意味があります。
フランチェスカがパスタを見て驚くように、全部に意味があり、
そこを見出したのが、アウラクインの裁量であり、明るめたる理由なんです。
それが出来るのは善意価値の最高。だから回りも仲間として迎え入れてくれるんです。

そこにいる人たちは、当然毎日それらを噛み締めて、歓喜の中で過ごしています。
その騒がしい、五月蝿いなんです。
フランチェスカが言わせておけばいいと言った二の次で五月蝿いって怒鳴っているのも、
そういうことなんです。ただの馴れ合いでも無ければ、迷惑の五月蝿いではありません
意味が必ずあるんです。

ーーーー
現代では、子供の声が五月蝿いと苦情になったりします。その大体は通報者の身勝手に捉えがちですが、
ほんとに五月蝿い(景観にそぐわない)、中には嫌がらせのために親が子供に騒がせるものもある。
捻くれたりすると(特に某屑SNSなど)は、これは同じだ、だから良いとか悪いとか
言ったりしてますが、全く違う訳です。バカだって批判されてるのは、読めば大体こういうところです。
ーーーー


②感謝しろだの、場を濁さず振舞え「何でもかんでも喜んでやればいい」。
そのまま飲み込むのは、違う

社会の慣わしで、昔から、「雰囲気を悪くしちゃいけない。何でも上手くいかなかくなる」
といった価値観があると思います。実際、暗い環境でいい仕事がしにくいのは事実としてありますが、
これは何者かが①の道理を真似て創造した、真理≠価値、「創作」であることを、記しておきたい。
特に日本人はこういった価値観のものが多く、本当に、国ごと創作の中にあります。
だから正しいものもあれば当て外れのものもあり、特に、十数年程度過去はほぼ出鱈目です
特に危険なもので、平等・共生を謳いながら差別や迫害に進むのは、この弊害です。

ゆえに場の空気が悪いからそれはだめだといっても、その限りではない訳です。
本当に頑張るときというのは、悪環境とかを気にすることが出来ません。
また、そういった環境からこそ、善悪を見極めた正しい人が生まれてくるものです。

認知科学なるものがありますが、似たようなものです。
整った環境で無駄を省き、ただ技術を向上させる。これだけを、成長と呼べるでしょうか。


※「明るめ」ている?明らめているでは?
これは自身もどちらか悩んだのですが、明るめているは造語になります。多分ありません。
敢えて選ぶのは、明るめだと先に説明しました方の意味になってしまうんです。
明るく楽しく、だから、「何でも楽しくやりゃ良い」が先に取られがちになってしまう。
それよりはと、無意識にちょっと捻った部分で、そのままにした。あんまり上手くは無い



■平等の究極

作品内でも出てきますが、貴族が庶民に合わせるのは違う、その意味が前解説に当たります。
格好だけ合わせれば庶民的、それは違う。
政治家が小豆バー食ったから庶民的とはならないのになってしまうのが昨今であり、
これが衆愚というもの。

つまり、序盤のフランチェスカの言葉
「『民衆』という名が冠する通り、ここでは皆平等よ
そういうと貴族が庶民に合わせるようなニュアンスで取られるけど
あんなの平等でもなんでもないわ
その逆で、ここは貧しい身なりが来ても、蔑まず、追いやらず、迎え入れてくれる店よ」
が読めていれば、その旧日本的価値観にはならないんですね。
そういうところがほんとうに、彼女の人であり、宿客の一員として立派なところで、
皆が善意をもって受け入れてくれているところなんだと思います。
だから一つに、アウラクインが素質を発揮できるのも、彼女の存在があってこそかも知れません。

ーーーー
例えばこの宿が捻くれていて、新人が着たぞ、虐めてやれ、と
まずい料理を出してきたとする。そういうときは素直にまずい、と怒ればいいんです。
それは悪意を断つ、悪と対峙するということでもあります。
逆に喜んで食べたりすれば、そもそも噓ですから、
頭がおかしいのかと思われて、決してよくはならない訳です。
そこに黄金は映っていかない訳です。

飛んで#39の、翌夜では野菜粥を食べていますが、
素材それぞれの味がわかれば、まずい料理はそうありません。
知っている、ではなく、感じて取ることです。
ここでもフランチェスカが「肉や塩でしかウマイといえない奴にはわからない」と言っていますが、
そういうことなんですね。
あとは余談ですが、お腹が空けば何でも美味しい。これは誰でもそうです。
その頭があるから、おなかを空かせよう、という発想も、迷信ではなくある訳ですね
なんでもご馳走に匹敵するし、節約にもなります。
ーーーー




# by usacchi2006 | 2024-03-12 06:51 | 楽屋裏 | Comments(0)

240310 【振り返り】#16


・Pixiv小説更新
 

#16の振り返りです。

ここで書いているものをPixivに転載する・・・まあ・・・殆ど意味の無いことです。。
名前も消しちゃったし、読まれる人はほとんど居ない。
物自体も、特に何か目指したり競争して出来ているものではない、自由奔放なものなので、
取捨選別の捨に入り、基本的に触れられる事が無く、読んでもらえれば本当に感謝しかないです。


振り返りという事で、この#16を書いたのが二年と二ヶ月ぐらい前なんですね。
でも作品内では僅か二日前の話であったりして、なんとも時間の経過を思い知らせるものです。
この頃はまだ日常的なものを描いていた様子で、逆に今が話しくどすぎると、反省するところであります。

日常に加えて、フランチェスカという日雇い少女としての平等思想、
当時の低層階級者の生活といったものが盛り込まれており、そこに入っていくように、物語は進みます。
少し乱暴ながらも、力強く共生して、自分の居場所を確保しているフランチェスカに
アウラクインが、カラスの突くようにからかうと、回りも喜ぶんですね。

最後に幻想界で〆るのですが、抜粋します。

しかしその狭さから、蝋燭の明かりは店の隅々にとても強く行き渡り、
店の名を尊重する客たちの意思によって、話し声は、すべての人の声が明るく弾み、
料理は質素ながらも、姿こそ立派で、最大限の美しさで見る人を興奮させている


全てがまるで、ローマの黄金の様に


一人の少女によって、放たれた様に。


このようにあり、当然フランチェスカにとってその光景は当たり前のものであるんですが、
そこに新しい、アウラクインという客が加わる。
その少女がどう感じるかが、その少女の様相に映り出る。
そこで、回りの一切が、彼女を明るめていると知ったところで、
するとそれが今度は回りに映っていくんです。
そこで今度は、明かりを灯すのも、食事を盛り付けるのも、一切元来は輝く方向を目指していて、
それを覚知することで、当たり前が全部が輝く。つまり黄金になっていく。
出来ることの最大限、「最高の価値」を見出すのは、その人たちであって、
それならもう、ローマの宮殿と、やってることは何違うこと無いじゃないか。
それを成し遂げたのはアウラクインというより、只一人のぼろが見せたに過ぎない。
序盤に挙げた、平等の究極。
こんな話を今は誰も信じないでしょうが、ここは、そういう〆なんです。



# by usacchi2006 | 2024-03-10 07:35 | 楽屋裏 | Comments(0)

■最新

 


今回の節話は#43寝坊から始まりまして、
43,44を前半とし、後半幻想界を45,46,47としたいと思います。
そして深層にまた現実界があるという話でした。
節題はどうしようかな・・・
”犀にまつわる”でいいかなと思うのですが、もう少し気の利いた書き方もあるような。。
と、思っております。


■#47進捗

今月入ってからずっと#47を書いていて、ようやく…完成が見えてきまして…
こんな大した事のない1話に、焦燥感凄いんですけど、
その中で自分用メモとして残しておきたい、今回掛かった原因として、
それは、ずっと会話だけ書いてて、ナレーターの存在を忘れていたことでした。
会話だけ書いちゃうから、登場人物が情景を説明したりして、無駄な話でだれる
まあこんな感じで、足踏みが多かった。
この失敗、前にもやってるんだよな…ホント成長が無い。。

ああ、絵もこれからです


■ウラの話

自分としては、登場人物に自分を登場させてるつもりは全く無いつもりです。
正直、それだとなんも考えてないのがわかってしまうので、やってもエキストラです
当作で敢えて言えば、ナレーター文なんだと思います。
といっても、あんまりちゃんとは説明してないですね、
殆どアウラクインに任せて済んでいると思います。
ちゃんと説明したと記憶あるのは#36ぐらいです…それも、跡付けですが。。

ー真実は作り出されるものではない。
アウラクインというアウローラの天使は、怠惰という虚偽の暗闇を払うために、
フランチェスカの、真実としての雄牛の姿を明かし、そして、
それを取り巻く人々の、在りのままこころを、呼び起こしたのでした

これです。これは完全にナレーションで無く、私が読者に教えてる文です。
説明としないのは、この#36を読める人は、多分居ないと判断しているからです。

余談で解説回はもちろん全部私の言葉です。
もう好きなように、書きたい放題書いたものが、あれらです。


■”生きたキャラクター”

アウラクインに任すとありますが、逆にフランチェスカに任せると本当に楽です。
作品の外にも性格が現れる、ほんとうによく出来た子なんだなと思っています。
ちゃんと監督しないと、少年誌になりそうなところも、そんな現われです。
アウラクインも完全に立存はしていない、まだ支え(ナレ)は要るということでしょう。
ラーラフラウが”抜け目”を狙っているので、緊張絶えないのも一つに生きているということと思います。


# by usacchi2006 | 2024-03-09 05:41 | 楽屋裏 | Comments(0)