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by 創作価値論
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240614 #48 藍色のバラ



240614 #48 藍色のバラ_f0051248_01065057.jpg
 

ラーラフラウの表姿





彼女の志し
# by usacchi2006 | 2024-06-14 03:33 | 創作 | Comments(0)

240613 大善2



■大善2

・道徳の大小基準

価値論において善価値とは善悪対称の道徳価値のことでありますが、
社会を基準として、善を正価値と置きます。
小善・中善・大善と三つに分けるのは、古くの考え方です。
個人を利する小善、大衆を利する中善、しかし大善については議論されていたところですが、
大は小を兼ねるという事で、小中両方叶えるものではなくてはならない。
そう考えると、小中双方の実相を顕せばよい、したがって人格養育しかない訳です。


・道徳の価値は大きい

また道徳は、その他価値を包含する。経済、芸才も、道徳の土台があって評価基準がある。
自分の子供の絵が他の何者の絵画にも勝るのは、親にとって子供が善だからといえるではないか。
戦前の戦争奨励漫画が戦後一切封印され、作家が失墜したことは、悪のゆえではないか。


・大善は政治や宗教のことではない。自他共に幸福にならなければ、嘘である

悪人を滅して善人だけにすればいい、これが大善だと乱暴に考えても、
善悪は一体、不二であり、悪人からしてみればそれはジェノサイドです。
生命を無視した大悪ですし、投獄等で殺生無く出来たとしても、中善でしょう。
大きく考えれば問題の解決とならず、先取りした結果に過ぎません。
バランスの悪さ(=真理との相違)が修正されない限り、善人から悪人が生まれ、繰り返すことになり、
それはつまるところ長く続かない平和になります。

宗教連中が、国を自分達の宗教に改宗させればよいという、これにしてもこれ中善な訳です。
結果をもってなるというならわかりますよ、けども実際あるけど政治に入ってきて法律を変えたり、
攻撃を仕掛けて自分らが気に入らない者を物理的に排斥とかやってるそうだから、
反価値を見ておらず、独善である以上、特定層しか評価が出来ません。
中善に見えますが、いわゆる謀略ですから大悪で、外善の大悪とは言ったもの。
まして金貰って手を貸してる奴等は人にあらずで、もっての他です。
結果ばかり急いではいけない。高望みを思い込んではいけない。
時を見ても、全て善に出来るなどと、全くその時ではありません。
そのことは途方も無い時間を要することであり、
人一人の人生から見て、結局は現状維持や先送りで妥当ではないかというのは、私の考えです。
諦めに見えますが、逆です。善悪不二、一人一人を信じることを諦めない。

その悪の最たるが過去の大日本帝国で、根本は間違った信仰であり、実相は絶対神崇拝の畜です。
結局、一神教はその本尊を利用して好き勝手行うものを出す、魔の入り処となる。
戦時にあった教育勅語なるものは結局、「天皇陛下の意に背くのか!」をやりたいことに過ぎず、
ゆえに道徳の最低水準をわざと設けています。(例:父母を大切に⇒天皇(親)を敬え!
この背景から皇道においては、本当に天皇陛下の意で動いていたのか、疑問にも思えます。


・小中善に固執しないー大を踏みつけての小中は偽りである

自他共に幸福になる、これは難しいことですが、この意味を持って「賢」という字があり、
これは本来仏教用語であり、両得の知恵を発明してこそ、賢いといわれるもの。
人格の為せる業で、真実の大善ではないか。
小中善にばかり固執して大善をしないことは、転じて悪となりうる。
戦中のスローガンであった滅私奉公(我を捨てて君に奉仕せよ)などは、
一方ばかりの利なので、大善の前には愚である。
また日本人の言うずる賢いは、騙し取るの意が強い。これも一方の利ゆえ賢にあらず、
只のずるというものだろう。前にも書いたが、悪は賢いのではなく、
単にけつまくりを繰り返しているだけである。

大日本帝国にしても、その戦争責任を天皇陛下や東條らにだけ背負わせて、
(米国の助けで)逃げ延びた連中がいる。今政治の舵を持ってるのが、その末裔です。
また戻ってきて、やってやるぞと息巻いているのが、憲法改正な訳で、
特に勇んでいるのは末裔より、勝ち馬に乗ろうとしている利益目当ての馬鹿です。
先日、憲法改正論議は先送りとされたが、それに怒っている議員がそれで、非常識です。
そしてそれを支持する宗教です。戦争にしてもやれやれとほざく宗教などあってよいものか。
酷いものは、人気者を殺し絶対神に仕立て上げてまでやる。この国でもなんかあったけども。
誰かを立てるというのはある程度許されても、人一人を見失ってはいけない、
その加減をわからなくてはならない。


・一人に立ち返れよ

逆の理屈で、小中悪も、大悪に背けば即大善である。
しかし大悪を叩くだけが善ではない、そこから知恵を芽生えさすのが人格育成で大善としよう。
これは対悪顕善といって東洋哲学の立派な知恵ですが、
そんな立派な学問を捨てて、マズローだアドラーだ理知の低い学問をこの国の人は、
またさらに偏向して読んでいる。そんなだからこういう世になる。
幼児の指導で満足する哲学を好む、これだって間違った信仰に等しい。

それらを勇んで教えてしまうのが、米国だろう。まあこれはユダヤ社会だからもある。
あの国の大学が偏差値高いからといって、あんな国に学んで自慢になりますか。
あの大統領見たらいいじゃない。金持ちの好き放題、ゆえに経済も貪るだけ、
なくなったら余所から奪い取ってくる、ワザと事件を起こして因縁つけてくる。
酪農家もワザと燃やして、中世の塩のようにワザと値段を吊り上げる。
経済学者、政治学者とかいって無職のスパイばかり送ってくる。
そういう振る舞いだから、只の無知で、爺でも推されて出てくるような国です。
して同じ轍を喜んで踏む日本。そこに喜ぶもの、賞賛するもの。
昨今のインテリ共がそれであり、回りまわって無知であり、宗教スパイも同然である。
褒められたる日本人、戦後日本を本当に創った労働者の面々は、とっくにもう居ない。
生きていても皆、Xとテレビでバカになった抜け殻である。
悪に親しめば一切の価値も悪になる、人類史単位で不要である。



# by usacchi2006 | 2024-06-13 07:44 | 論説 | Comments(0)

240610 大善


前々回記事では、多くの反応をWeb拍手の方から頂きまして、
記事のほうに関心を持たれた方へ、感謝の意を申し上げたいと思います。


ところで続きなんですが、書くことは沢山あるんですが、
テーマが多すぎて纏りきらない状態に陥っています。
最近は今まで例を見ない出来事が、本当に多い。でも、いずれも虚偽のものであり、
そこには答えがあって、それは破ることが出来、健全化を図ることが出来ます。

この健全化を図った先になにを求めたいかといえば、人間の人格の健全化です。
世間はこの思考に立ち返るべきで、これは広めていかなくてはいけない。
塵も積もればと言いますが、これは小善ではなく大善です。
小善中善は積み重ねても大善へとならないものですが、大善は小中善を兼ねます。この違いがある。

その周知運動は、人に親切にする小善よりも無駄で、
慈善事業を立てて多くの人に利する中善より、小さく見えるかもしれなくとも、
叶えば上二つなどやる必要がなくなるのだから、そこに基づいて行動すればいいだけのこと。
つまり、一切の社会組織がそうあるべきで、ゆえに道徳の一心が価値の一切に勝ちます。
しかもこれは一人から出来る。一人ずつやるしかないのだから、数なんか数えなくていい。

沈黙というのは世の中には良くない。悪人はその道理を覆い隠すように跋扈します。
勿論喋れば自分の面子を損なうのはそうですが、
誰が身を切るのかといったら、多くの人はそれが出来ない。今はコンプライアンスといって
社会人を縛り付けますから、デモとかも、とても参加できる世の中ではありません。
つまりコンプライアンスとは、会社の利を人質とした言論統制といっても過言ではない。
今はどこのビジネスモデルも、大概これになっています。

僕も言って出来てるわけじゃないんです。
だからこそ、真に身を切って戦っている人を気遣ってやれるだけの精神を、
この国に取り戻しては如何か。
いや、これがわからんもので、元々そんな精神、この国に無かったかもしれない。
だったら今から気をつければよいじゃないか。この価値論をもって、そう提案するものです。

# by usacchi2006 | 2024-06-10 04:04 | 論説 | Comments(0)